診療看護師(NP)の教育プログラムの策定について

 

 別のブログばかり毎日更新して、1年前にはこんな記事書いていました、というメールが届いたのので、たまにはこちらにも書いておこうと思います。

 

診療看護師(NP)は、各施設で様々な臨床プログラムが策定されています。

 

たとえは、日本版NPを養成する大学院に2年間行くだけで、NPと名乗れます。

当然ですが、資格認定試験ですので、その資格はなんの効力も持ちません。

 

そして2年間の大学院生活は、それなりにいろんな勉強をします。

臨床的な知識としては、向上するでしょうが、正直なところ、建物でいうところの躯体が重要です。

 

つまり、大学院でいくら勉強したとしても、その知識は上塗りに過ぎない知識なのかそうでないかに別れます。

躯体と例えたのは、コアの部分がしっかりしていれば、NPでなくても、専門看護師(CNS)や認定看護師(CN)であっても同様です。

 

NPの方々は、NPだけが秀でているような言い方をする方がいらっしゃいますが、その様な方々の躯体はボロボロです。

例えば、その方の行うプラクティスを問うと、その躯体の弱さが露呈されます。

 

なんの根拠も提示できません。

何でその様なプラクティスを行っているのか問うても、そのように教えてもらったから、です。

 

つまり、日本版NPとして、自分がどうあるべきなのかと問われれば、その様な日本版NPは、医師のお手伝いと言わざるを得ません。

個人的には、日本版NPは、医師のお手伝いでも良いと思っています。

けれども、自立・自律したNPを目指すのであれば、主体的に自分たちの能力を提示すべきです。

 

どのように提示するかは、一般的には客観的左証によります。

つまり、科学的な研究ということです。

 

ところが、日本版NPの方々の多くは、研究が苦手な方が多いです。

それは、NPと呼ばれる方々の論文を読めばよくわかります。

 

プロブラムの話に戻りますと、主に3種類の日本版NPがいます。

・当該施設から、大学院に行った方

・別の施設から、大学院に行った方

・大学院卒業後、臨床経験を経て当該施設に就職された方

 

この3種類があります。

 

この問題は、看護師でも同様なのですが、平等でないことが多いです。

 

例えば、当該施設から大学院に行った看護師であれば、卒後の看護師研修が不要とかいう、全く意味のわからないプログラムを策定されます。

正直何がしたいのか、わかりません。

自分の保身しか考えていないように思います。

 

その研修プログラムは、なんのためにあるのか、という「問い」が圧倒的に不足していると言わざるを得ません。

 

その日本版NPは、何を目的に学位を取られたのでしょうか。

だからこそ、看護師から、看護を忘れたNPと揶揄されてしまうのです。

 

大学院に2年行って、お世話になった組織での看護研修もせずに、唐突に自分たちだけが、先駆けて日本版NP研修に出るという、愚策に対しては、甚だ疑問しかありません。

むしろ、自分たちから看護師研修をさせてくれ、というくらいの気概がほしいものです。

 

いつまでたっても、成長できない組織とは、この様な組織であるような気がします。

 

他の方々も、同様に看護師研修を行うのであれば、同様に行うべきではないでしょうか。

 

自分が2年間大学院で学んだことは、看護師としてフィードバックできないのでしょうか。

そもそも、フィードバックよりも、自分たちの保身しか考えていないので、そのような行動をとられるのかもしれません。

 

全体を俯瞰できている人ほど、医療におけるキーパーソンは看護師であることを認識しています。

その看護師のシステムも、おかしなものばかりです。

 

結局何が言いたいのかわかりませんが、初期研修プログラムの策定の根拠は、明確に提示すべきということです。

それが「倫理である」ということではないでしょうか?