診療看護師とは、米国のNurse practitionerを模倣して頑張っている団体が勝手に言っている呼称です。
一応学会では、診療看護師(NP)という括弧つきが推奨されています。
でもこの様な括弧付きの呼称は、あまりカッコよくない気がしています。
診療看護師とはいえ、免許はただの看護師免許です。
その看護師免許に、加えて特定行為ができるだけの看護師です。
ただし、これは法律上の話です。
一方、特定看護師は、看護師免許に加え特定行為ができるだけの看護師です。
つまり、特定看護師も診療看護師も同じです。
しかも、名称もそれぞれが勝手に言っているだけなので、何が正しいとかも無いです。
私達は、診療看護師(NP)だから、大学院出てるんだしとか言っている人もいますけど、そんな人に限って臨床の能力も無い人が多いです。
そして、自分たちの成果を提示しない場合が非常に多いです。
結局そんなひとたちが、NPとか言っているから、その周囲の看護師さんたちはNPに対し、あまりよい印象を持たない場合もあるような気がしています。
たとえば、その職種が自立・自律するためには、その職種に対しほとんどの内容を特定の職種が教育するだけでまかなうことができることが必要です。
例えば、看護師ですと看護師が教える、NPならNPが教えるといった具合です。
けれどもNPは先に書いたように、「自分自分」っていう人が結構います。
先を見据えないと、自分がいろんなことができるようになって、「私すごいでしょ」で終わりです。
周囲には、迷惑しかかかりませんし、後進も育ちません。
若手の医師がそのような場合は、「若いな」で良いのですが、看護師経験を持つNPであるからこそ、先を見据えて行動してほしいと思います。
医療においては、ある程度の未来予想図を誰しもが持っているはずです。
その中では、チームとして機能するための協働も大きなテーマです。
そして、協働するためには、後進への教育も非常に重要になります。
いつまでも「自分」ばかりが最前線に立っていても何も見えてきません。
大学院での教育も、もう少し組織論について時間を費やしても良いのかもしれません。
医学的な事であれば、医師に聞けば良いですが、組織論のことを聞いてもそんなに詳しい人は少ないと思います。
NPの詳細はNPにしか分かりません。
そのため、NPがNPを教える体制作りが必要になるのです。
そして、話は変わって特定行為の話になります。
特定行為の習得には、ある程度の実習が必要になります。
けれどもNPもいて、特定看護師もいた場合は、手技の取り合いになります。
研修医や後期研修医とも手技の取り合いになります。
そもそも、私の意見ですが、手技の習得を最低限行うということは悪い事ではありませんが、医師の手技の機会を奪ってまでも行うことではありません。
私が医師の立場でしたら良い気はしません。
そして、特定行為の実習生が手技を行うためだけに、病棟などに来てドレーンを抜いて終わり、ということも同様に、あまり良い気はしません。
手技をやる方も、管を入れたり抜いたりするためだけに、病棟などに出向くのは良い気はしないでしょう。
だからこそ、勤務の流れで行うべきなのでは無いかと思っています。
もちろん、最低限クリアすべき項目の履修も必要なのかもしれません。
そして、看護部は肝いりではじめた特定行為研修生を大事にしがちになります。
自施設で育てたからです。
そうなると、NPと特定看護師の間にも溝ができてしまう可能性もあります。
業務内容はそもそも、NPとは異なるので、NPはもう少し頭を鍛える努力も必要です。
そして、自分が働くなかで手技の機会が必要に慣れば、医師に教わりながら行えば良いのです。
何度か行っているうちに、今度は医師やNPや特定看護師を指導する側になります。
指導する側に回るということは、その手技に関してはある程度のことは何を聞かれても、対処できなければなりません。
そして、その根拠(元となる論文やガイドラインや二次文献)も知る必要があります。
ここにはこう書いてあるよ、という受け売りがNPには必要です。
あの先生がこう言っていた、ではいつまで経っても自律できません。
まとめ
NPはもう少し教育的視点が必要
NPはもう少し研究的視点が必要
NPは臨床は頑張っているけど、その根拠は誰かに聞いたというエビデンスレベルの最も低いものが多い
特定行為看護師は手技単体ではなく、もう少し系統的な流れで手技が行えるようなシステム構築が必要
NPと特定行為看護師は、棲み分けも必要だけど、実際はNPの能力が低い場合もおおい
とにかく、謙虚さを持ちましょう!!!
そして、先を見据えた行動を取りましょう!!!
余談
NP学会学術集会はホントにまともな研究が報告されるようになってきました。
そんななか、私はこれだけの手技を行いましたという手技自慢もあります。
その背景には、人の手技の機会を奪っているかもしれないという認識を持ちましょう。
手技はできるようになるのは当然ですが、次善の策こそが重要です。
失敗したから医師に変わりますよりは、次善の策をもちましょう。