仕事が楽しいと思えるかどうかは、仕事自体を自分自身で組み立てられるかということがあるそうです。
ほかにもこの仕事に就きたくて選択したと言うよりも、社会的地位が高いから選択したという理由でも、最終的にその仕事を好きで選択できればよいのだと思います。
スティーブ・ジョブズ氏が、仕事を好きな職業として選択することへの、教えとして有名なスピーチがあります。
しかし、ジョブス氏も最初は大学を中退し、インドに自分探しのたびに出かけたりと路頭に迷っていたことが伺えるエピソードがあります。
けれども、最終的には自分が行っている仕事について、その仕事を好きになり、世界を変える成果を提示しています。
先に書きましたように、仕事のプランを自分で組み立てられるかという観点からは、看護師の仕事というのは、対局にあるような気がします。
医師や薬剤師やリハビリスタッフやCEや放射線技師や栄養士やソーシャルワーカーなど、病院には多数の職業の専門家がいますが、ナースは概ね仲介役的な役割を担っています。
加えて、患者対応や患者家族対応など、ほんとに多忙です。
なんで多忙になるのかと言えば、看護師がやるべき仕事が多岐にわたり過ぎるからです。
多忙であるということと、仕事は好きということは別物になります。
自分で色々な選択権を持つ仕事であれば、仕事は自ずと好きになるはずです。
けれども、臨床の看護師は自分の仕事が好きだけど大変だから仕事はしたくないという方が多いような気がしています。
これは、非常にもったいないです。
看護師はもっと声を上げるべきだと思います。
だって、病院で最も大多数の職業なのですから。
自分たちが働きやすいように、カイゼンを積み重ねて、自分たちで自分たちの仕事における選択ができるようにすべきです。
例えば、救急要請は医師の判断で受け入れの可否はほとんど決められてしまいます。
看護師が忙しいとかは、あんまり関係ないです。
しかし、医師が多忙な場合は救急要請を断ることもあります。
まあ、もっともな理由のような気もしますが、看護師としてはずるいな、とも思います。
日常の仕事についても同様です。
1日の仕事はだいたい決まってはいますが、ナースコールの対応や突発的な医師の指示に加え、リハビリスタッフからはもっとアクティビティをあげて、とか医師の変な薬の出し方により、細かな調整が必要になったりと、繰り返しますがほんとに忙しいのです。
多くの専門職では、このようなことはありません。
自分の決められた範囲のことをたいてい行います。
けれども、看護師の行う仕事の範囲は広すぎます。
広すぎるがゆえに、ジェネラリストとかいう、よくわからない称号を与えられて、イコールなんでも屋みたいな扱いになりがちです。
ジェネラリストとは、本来深く・広くあるべきです。
けれども、看護師は広く浅く担ってしまいます。
多くの看護師は、医療のことを何も知りません(わたしの経験です)。
病院の上層部にも問題はあります。
看護師も専門性を発揮しようとしていても、半分命令のような形で全く異なる部署に移動させられることも稀ではありません。
これがいいとか悪いとかではなく、専門性を追求し成果を残しているものに対しては、その部署でより良い成果を残すようにバックアップすべきだと思います。
例えば、クリティカルケア領域の認定看護師を取得後に、全く異なる部署に移動させられることは比較的よくあると思います。
本人の希望であればよいのですが、集中治療室で本来発揮すべき能力の無駄遣いにもなりかねません。
とはいえ、認定看護師のレベルにも幅があり、ほんとに何も知らない方もいらっしゃいますので一概には議論できませんが、一般論としての話です。
ということで、看護師の離職の原因にもなりますので、自分の仕事は自分で組み立てられるようになりましょう。
医師をはじめ横から変な指示を出された場合には、協働することが必要ですので、十分にディスカッションしましょう。
一方的に反論する看護師がたまにいますが、良い気は全くしません。
その反論が、何の役に立つのかさっぱりわかりません。
ある大学病院では、夜中の3時に目薬を出してくださいという電話をしてきます。
それが当然という風土があるのでしょうが、そのような一方的な態度が、自分たちの頸を締め付けることに繋がります。
つまり、何も考えていないという事です。
協働するということは、医師が行うべき道順がある程度共有できていることでもあります。
道順を共有できるということは、診断の道筋も共有出来ているということになります。
看護師は、そんな簡単な仕事では本来無いはずです。
まとめ
看護師は、病院のマジョリティとして、もっと声をあげましょう!
ただし、声のあげかたを明らかに間違っている看護師が、わたしの経験では大多数ですのでもっと勉强したほうがよいと思います(とくに大学病院)