看護師はミニドクターであるべきか

これは長年議論され続けていますが、一向に答えの見つからない看護師の七不思議の1つと言って良い問題だと思います。

 

そもそも看護師は何を目的として、看護師として働いているかという事かと思います。
勤務場所が、江戸時代であれば、腹痛の患者さんに対しては、手当てと言われる、看護師の手を患者さんにあてて腹痛を緩和させる処置は必要だったと思います。

一方、現代では看護師が手を当てて良くなるシチュエーションは、とても限定的であると思います。


けれども、看護師の方はこれこそが看護だと言いはります。

エビデンスの話をすると、私は医師になりたいわけではないといいます。
そういう議論をしているわけではないと言っても、議論は平行線です。

 

現代における薬や侵襲的処置以外で、患者さんの症状を緩和させることこそが看護だという方が、多い様に思います。

 

医療というのは、実は恣意的なもので、誰が見ても同じような事象を想起させることが必要です。
そのために、診断というものがあります。

例えば、呼吸不全の原因は様々ですが、肺炎、それもよりスペシフィックに市中肺炎、さらに肺炎球菌にる市中肺炎、さらにさらにCURB-65 でスコア2の肺炎球菌性肺炎と言われれば、大方その患者さんの状態や今すべきことが共有できます。

 

それが診断です。

 

看護にも診断があります。
看護診断というやつです。

看護診断は得意ではありません。
たぶん、医師の99%以上は、看護診断がどのように構成されているか分からないと思います。


でも、看護師は頑なに看護診断を使います。

非効果的気道浄化という看護診断名がありますが、このような看護診断であれば、人工気道であったり、喀痰喀出が困難な患者さんであることがわかります。

診断とはある事象を共有するためのものですので、このような使い方であれば、良いのだと思います。

 

何が問題かと言われれば、看護の中だけで全てを解決しようとしていることが時代錯誤のような気がします。

 

例えば、タスクシフトなどといわれる、医師の業務を看護師や他職種が代替することが最近話題となっています。
これは、看護師特定行為など、医師でなくても可能な医業の一部を医療の専門家である看護師に担ってもらうことが目的です。

けれども、過去頑なに医師の業務を行なってはならないと洗脳されてきた看護師にとっては、とてもできませんと言うことになります。

 

もちろん看護師といっても人によりますので、看護師の大多数の人の話です。

 

女子医大では、ボーナス支給ゼロ円に端を発して、400名を超える看護師の退職者がいるという噂がありました。

さすがに、看護師に同情する声もあります。

 

その一方で、大学病院のナースは何もしないとか、研修医の頃いじめられたとかいう声をよくよく耳にします。
これは、看護学生や新卒看護師であっても同様です。

 

そのような先輩たちを見てきた結果、2年目とか3年目になって、びっくりするほど偉そうな態度を取ることが当然のような振る舞いをみせます。

当然そのような看護師は、知識ゼロ以下といってよいほど知識はありません。

 

ただただ、その部署で働いてきたから、働き方を学んだだけです。

 

自分達では、何の成果も示さず、ただひたすら新人の仕事に慣れていない医師や看護師の事を罵倒してきたのだと思います。

 

そのような部署でわたしも研修を行なったことがあります。

その大学病院で最初に教わったのは、身体抑制の仕方です。


先輩はこのように教えました。

「絶対に外れないように、腕をしっかり占めて、さらに結んで、手をベッドに押さえつけた状態で、その抑制帯の先はベッドの下の手が絶対に届かないところに2重に真結びして、さらに余った紐は患者さんの手が絶対に届かないさらに遠いところに、さらに2重にして結んでください」

と言われました。

 

当然、唖然としました。

それを、彼ら彼女らは当たり前にやっているのです。

なにも考えていないのです。

 

あるのは、点滴などを事故抜去されずに、自分の勤務を終えることだけです。

論文を読めば、身体抑制で自己抜去を予防出来ないということは自明です。

 

そして師長は、その結果自己抜去がなければ、よくやっています。

自己抜去があれば、抑制どうなってたの!といったありさまです。

医療において、どこ見てんのかわかりません。

 

ですので、わたしはミニドクター的な視点は必要だと思います。

特に急性期病院では、時間の流れが早いですので、コモンディシーズにおける簡単な診断や治療の知識くらいは、看護師でも出来ることが高度化された医療において当然獲得スべきスキルであると思います。

 

看護師ができるのは、休憩室で愚痴をいうだけです。

その先のアクションに移す人はあまりいません。

アクションに移せる人は、こんな看護師にはなりませんし、看護師を辞めて違う仕事をしていたりします。

そのような優秀な看護師を看護の世界から追い出してしまうのはもったいないと思います。

 

看護師の離職率はとても高いです。

けれどもそのような環境を提供し、容認しているのは、看護師長に代表される、偉い立場の人たちです。

 

医師は日本の学府のトップ集団ですが、看護師は一般的に下位集団だと思います。

そんな新人医師に対し、何もできねーなといった、手術室などでよく聞かれる看護師の声を聞くたびに、この世界どうにかならないものかと思ってしまいます。

 

個人的には、嘆願書を書いたり、みんなで看護部長へ直談判に行ったり、組織に対してはある意味、嫌がられるようなアクションをとってきました。

 

なにかを変えるには、リスクを取らなければ出来ませんし、知識も必要です。

そして、新卒医師達をバカにするような態度をとる看護師にとって最も必要なのは、ソクラテスのいう「無知の知」です。

 

自分が知らないことを知るということです。

 

私は、みんなの前でこの言葉を言いましたが、「難しいことばかり言っても人はついてきません」といわれました。

 

この組織では救急看護師のファインプレーを、師長は随分と評価していますが、ただの経験です。

野球のイチロー選手もそうですが、普通の人がギリギリ捕れない球を、普通に捕ることの難しさは、真摯に勉强し、教育を受けてきたものにしか見えない景色だと思います。

 

だからこそ、おかしいと思う看護師同士で手を取り合い、少しの成果でもよよいので、自分たちの成果と言えるものを創造していくことが必要なのだと思います。

 

女子医大の一件でそのように思いました。
けれども、上層部の考えが変わらない限りは、絶対に同じ過ちを繰り返します。

 

抜本的に組織改革を行なったことで、良い方向性に舵がとられ、看護のトップと言われるようになってほしいと思います。

 

大学病院は、最も先進的な看護が展開されるべきだと思いますが、市中病院の方が先を行っています。

その市中病院も似たような病院が多いような気がしますので、自分達で上層部を動かすくらいの気概が必要なのだと思います。

 

わたしも、がんばります。