看護師の早期退職は是か非か

看護師は、とにかく退職する事が有名な職業です。
以前調べたら、1割以上の方が退職していました。

 

かくゆう私も、いくつかの病院で勤務してきましたが、退職を繰り返していると客観的には映るでしょう。

いくつかの病院で勤務してきた感想としては、看護の世界ではどこの病院でもほとんど同じということでした。

 

退職者がでれば、「根性がない」「忍耐がない」といった一辺倒の思考しかできない、それが大きな問題なのです。

 

それも、大学院をでたはずの看護師という方々が仰っているのでは、話になりません。

都合の良いときだけ、大学院卒業したと言っていますが、実際の臨床能力は決して高くありません。

 

ある特定の手技である、エコーや末梢留置型中心静脈カテーテル留置などができるからといって、その方の知識や医療全体を俯瞰した、医療人としての態度とは全くもって別物です。

 

ある特定の手技に関しては、やっていれば誰でも出来るようになります。

 

だれでも出来るようになりますが、それ以上成長するには、内省が必要になります。

 

例えば、外科系の代表ともいえる心臓外科の医師は、多くの手術を行う事で手術がうまくなったのか、と言われれば半分そうかも知れません。

しかし、半分以上(多分8割位)は内省であり、今回の手術でできたこととできなかったことを次の手術に活かしているのだと思います。

 

でなければ、毎日毎日同じ手術を行えるはずがありません。

 

流れ作業の工場で勤務する方々を、否定するつもりは毛頭ありませんが、次々とやってくるモノにたいして、決められた事を淡々と繰り返す事だけなら、飽きてしまいます。

 

流れ作業の領域でも、トヨタ生産方式などはとても有名ですが、多能工的視点を持つことで流れ作業も単なる流れ作業ではなくなります。

 

あるときに状態の悪いものが製品ラインに流れてきたとします。

その時に、流れ作業のラインを止める権利を与えられたら、その作業員は色々と考えることが増えます。

ただ単に、流れ作業の組立作業を行うだけでしたら、毎日のルーチンワークでしたが、5分間ラインを止めただけでも膨大な損失につながる権限を各作業員に与えるということは、単能工から多能工的な視点への変換が可能となります。

 

医療界にもそのような責任を問う態度が必要です。

 

医療者は、責任を負ってばかりです。

 

過去の常識を現代も持ち続けている人に成長の機会はありません。

 

常識は常に疑う態度が必要です。

 

そして、常識は毎日のように変わるものです。

 

それに気づけ無いということは、勉強不足以外の何者でもありません。

 

そういう観点では、新たな可能性を秘めている、診療看護師(NP)という職業が、未来を見据えているかどうかで変わってくると思います。

 

けれども、冒頭に述べたように、退職者がやめるのは、根性や忍耐が足りないと言っているようでは、いつまでたっても成長できないことは明らかです。

 

そのような方々は、看護師を下に見ています。

その態度は明らかです。

 

自分たちはどうなのか?常に問う態度が必要だと思います。

自分たちが敷いたレールが悪かったのではないか。

自分たちが勤務してきて悪かった点はなかったのか。

そして、その悪かったと感じた点を、次に活かせたのか。

自分たちが辛いと感じた事は、次の世代にも引き継ぐべきなのか。

退職の意思を提示される前に、気づけなかったのか。

なぜ、気づけなかったのか。

 

気づいたときには、もう遅いのです。

そんな組織への魅力はありません。

成長する機会があり、決断能力のある人だけが、次のステップへ進んでいきます。

 

それを傍目でみている先輩は、どこ行っても一緒だし。

今年は、もう一人目なんだね、と他人事です。

 

看護師がやめる影響で、自分たちの頸を締めていることに、そろそろ気づく努力をしましょう。

 

といっても、常識を変えようとしない、一部の方々には通用しないでしょうが。

 

退職された方には、次のステップで頑張って、さっさと先輩を超えてほしいものです。