診療看護師と特定看護師の教育プログラム

診療看護師とは、米国のNurse practitionerを模倣して頑張っている団体が勝手に言っている呼称です。

一応学会では、診療看護師(NP)という括弧つきが推奨されています。

でもこの様な括弧付きの呼称は、あまりカッコよくない気がしています。

診療看護師とはいえ、免許はただの看護師免許です。

その看護師免許に、加えて特定行為ができるだけの看護師です。

ただし、これは法律上の話です。

 

一方、特定看護師は、看護師免許に加え特定行為ができるだけの看護師です。

つまり、特定看護師も診療看護師も同じです。

 

しかも、名称もそれぞれが勝手に言っているだけなので、何が正しいとかも無いです。

私達は、診療看護師(NP)だから、大学院出てるんだしとか言っている人もいますけど、そんな人に限って臨床の能力も無い人が多いです。

そして、自分たちの成果を提示しない場合が非常に多いです。

 

結局そんなひとたちが、NPとか言っているから、その周囲の看護師さんたちはNPに対し、あまりよい印象を持たない場合もあるような気がしています。

 

たとえば、その職種が自立・自律するためには、その職種に対しほとんどの内容を特定の職種が教育するだけでまかなうことができることが必要です。

例えば、看護師ですと看護師が教える、NPならNPが教えるといった具合です。

 

けれどもNPは先に書いたように、「自分自分」っていう人が結構います。

先を見据えないと、自分がいろんなことができるようになって、「私すごいでしょ」で終わりです。

周囲には、迷惑しかかかりませんし、後進も育ちません。

 

若手の医師がそのような場合は、「若いな」で良いのですが、看護師経験を持つNPであるからこそ、先を見据えて行動してほしいと思います。

医療においては、ある程度の未来予想図を誰しもが持っているはずです。

その中では、チームとして機能するための協働も大きなテーマです。

そして、協働するためには、後進への教育も非常に重要になります。

 

いつまでも「自分」ばかりが最前線に立っていても何も見えてきません。

大学院での教育も、もう少し組織論について時間を費やしても良いのかもしれません。

医学的な事であれば、医師に聞けば良いですが、組織論のことを聞いてもそんなに詳しい人は少ないと思います。

 

NPの詳細はNPにしか分かりません。

そのため、NPがNPを教える体制作りが必要になるのです。

 

そして、話は変わって特定行為の話になります。

特定行為の習得には、ある程度の実習が必要になります。

けれどもNPもいて、特定看護師もいた場合は、手技の取り合いになります。

 

研修医や後期研修医とも手技の取り合いになります。

そもそも、私の意見ですが、手技の習得を最低限行うということは悪い事ではありませんが、医師の手技の機会を奪ってまでも行うことではありません。

 

私が医師の立場でしたら良い気はしません。

そして、特定行為の実習生が手技を行うためだけに、病棟などに来てドレーンを抜いて終わり、ということも同様に、あまり良い気はしません。

手技をやる方も、管を入れたり抜いたりするためだけに、病棟などに出向くのは良い気はしないでしょう。

 

だからこそ、勤務の流れで行うべきなのでは無いかと思っています。

もちろん、最低限クリアすべき項目の履修も必要なのかもしれません。

 

そして、看護部は肝いりではじめた特定行為研修生を大事にしがちになります。

自施設で育てたからです。

そうなると、NPと特定看護師の間にも溝ができてしまう可能性もあります。

 

業務内容はそもそも、NPとは異なるので、NPはもう少し頭を鍛える努力も必要です。

そして、自分が働くなかで手技の機会が必要に慣れば、医師に教わりながら行えば良いのです。

何度か行っているうちに、今度は医師やNPや特定看護師を指導する側になります。

指導する側に回るということは、その手技に関してはある程度のことは何を聞かれても、対処できなければなりません。

そして、その根拠(元となる論文やガイドラインや二次文献)も知る必要があります。

ここにはこう書いてあるよ、という受け売りがNPには必要です。

あの先生がこう言っていた、ではいつまで経っても自律できません。

 

まとめ

NPはもう少し教育的視点が必要

NPはもう少し研究的視点が必要

NPは臨床は頑張っているけど、その根拠は誰かに聞いたというエビデンスレベルの最も低いものが多い

特定行為看護師は手技単体ではなく、もう少し系統的な流れで手技が行えるようなシステム構築が必要

NPと特定行為看護師は、棲み分けも必要だけど、実際はNPの能力が低い場合もおおい

とにかく、謙虚さを持ちましょう!!!

そして、先を見据えた行動を取りましょう!!!

 

余談

NP学会学術集会はホントにまともな研究が報告されるようになってきました。

そんななか、私はこれだけの手技を行いましたという手技自慢もあります。

その背景には、人の手技の機会を奪っているかもしれないという認識を持ちましょう。

手技はできるようになるのは当然ですが、次善の策こそが重要です。

失敗したから医師に変わりますよりは、次善の策をもちましょう。

 

 

第6回NP学会学術集会

NP学会学術集会は、なんだかんだほとんど参加しています。

今年は、どの学会もそうですが、Covid-19の流行によりオンラインでの開催や、中止・延期など様々な対策が取られての開催となっています。

 

NP学会とは、そもそも日本におけるNurse practitionerを創出しようと始まった団体の、学術団体です。

 

施設によっては、Nurse practitionerとか、NPとか、いろんな呼称があるようですが、Nurse practitionerとはそもそも米国のNPの事を現時点では、そう呼んでいます。

そのため、日本NP学会が主催する、大学院養成課程を終了し、資格認定試験に合格しただけでは本来は、Nurse practitionerとは呼びません。

 

じゃあなんて呼べばよいのかといえば、現在は診療看護師(NP)と呼んでいます。

 

そもそも団体を代表とする呼称に、カッコ書きというのも、なんだか変な感じがしていますが、団体を構成する方々方の異論や反論がないので、学会員のかたはこの呼称に満足しているのだと思います。

 

そもそも、NPといわれても何のことかさっぱり分かりません。

ということで、現時点で最もしっくり来る呼称として、診療看護師が使われています。

 

そしてさらにややこしいのが、日本に診療看護師(NP)という資格は存在しません。
存在しないと言うと嘘ですが、資格認定試験があるだけです。
つまり、法的にはただの看護師プラス、特定行為ができる看護師ということになります。

 

そして、特定行為ができる看護師とは異なり、自立・自律した看護師を目指しているのが、診療看護師(NP)の方々です。

 

NP学会学術集会における、わたしの歴史を振り返ると、質がどんどん向上してきていると印象です。

 

過去にもこのブログにNP学会学術集会のことを何度か書きましたが、もっと頑張るべきだ、といった内容でした(多分)。

 

NP学会学術集会では、そもそも量を集めた解析を行っている方は皆無に等しかったのですが、最近の学術集会ではだいぶ増えてきました。

 

質的研究に関しては、個人的にその評価方法などが、正直良くわかっていないのでなんとも言えないのですが、たぶんそれなりに分析された研究が増えてきているのだと思います。

 

そして、主催者も今回からは大会長が、診療看護師(NP)となり、会の在り方ががらりと変わった気がします。

 

そもそも学術集会は何のためにあるのかといえば、構成員の質の向上や最新の研究結果の報告として用いられます。

 

診療看護師(NP)の世界では、新規性のある研究というのは、あまり期待しておらず、目指すべきは米国NPですので、米国NPが行ってきた研究の日本での妥当性検証というのがメインになります。

 

今回のDNPのセッションでもありましたが、NPのドクターコースであるDNPは、Quality indicatorや質のカイゼンなどの観点から成果を提示しますので、現在の診療看護師(NP)にとっても、参考にできる部分は沢山あるような気がしています。

 

また、オンラインでの利点も個人的には、学術集会で勉強するという観点からは、利点しか無いように感じます。

というのも、オンラインだと当然ですが、どこからでも好きなときに、好きなものを聴講できます。

 

ところが、会場の場合だとまず椅子の端っこにみんな座っているので、その人達を避けていく必要がありますし、異なるセッションを聞こうとおもっても、移動が大変ですのでとても疲れます。

 

このあたりは、学術集会に何を求めるかで、満足度が変わってくるとは思いますが、個人的にはとても満足でした。

 

スタッフの方々が、苦労してこの会を成功させるんだ、この学術集会はどうすれば面白くなるのか、など多分いろいろ考えた結果なのだと思います。

 

普通の学会学術集会と比べても、今回の学術集会は満足度が高いものとなりました。

 

関係者の方々には、お礼申し上げます。

NP学会資格更新制度についてのムダなこと

NP学会は、5年毎に資格更新制度を導入しています。

今年が、その初めての年です。
面倒な手続きですので、いくつか気になることについて書いてみようと思います。

 

資格更新の手引より

https://www.jonpf.jp/files/SpcDocumentsDetail/2/SpcDocumentsDetail_2409_file.pdf

 

まず前提として、会費を支払っている必要がありますが、会費支払い状況がわからないです。

もちろん個人でちゃんと管理していれば、この様なことにはならないのでしょうが、個人のデータベースがあるはずなので、分かるようにして欲しいなと思います。

 

NPとしての臨床実践時間≥2000時間/5年

これは、普通に働いていればすぐにクリアできますので、特に問題ないでしょう。

 

申請書:様式1−6

様式1は、現在の情報ですので、特に問題ないです。

様式2は、実践報告書で7つのコンピテンシーについて、それぞれ実践内容を記載していくものです。

これは、振り返るという観点では良いのですが、評価方法が今ひとつ分かりません。

看護の先生方が評価するとなれば、厳しく採点する方もいらっしゃるような気がします。

このあたりは、査読制度と同様に、ある程度誰が評価しても、最低限チェックするポイントについて周知しておくことが必要です。

査読も、誰がおこなったのかわからずひどい文面で返されることもあります。

そのため、査読した方の名前や所属等が分かるような、オープンな形態のほうが査読の一般化は担保できるような気がしています。

 

様式3は、証明書ですのでこれも貰えばよいだけですので、特に問題ないです。

 

様式4は、多少問題があるような気がします。

これは、ポイント制度によるいわゆる「ポイ活」の実践状況を測るものです。

最低50ポイントですので、これは普通にNPとしての活動を行うことで貯まるポイントであると言えます。

 

ちなみに他学会よりもポイントが高いのは、実績云々ではなく当然だと思っています。

というのも、他学会と同等のポイントを付与するのであれば、NP学会に顔出さなくなります。

そうなると、学術的にも衰退していきますので、これは学会としてはあるべき姿です。

 

ただ、証明書として原本を請求しているのが意味不明です。
原本を送付したら、その後使えなくなります。

そして、もっと意味不明なのが、原本を紛失した場合に限りコピー可という文面です。

原本を亡くしたなら、コピーは物理的に困難な気がします。

考えても、よく分かりません。

 

他に、様式1・2・4はデータとして送付しなければならない点です。

書類でも送って、データでも送るのは二度手間です。

そして、見る側も大変です。

データ一括にしてほしいと思います。

 

そして、入金もわざわざ手数料のかかる窓口で行うのではなく、振り込みやクレジットカードにすべきだと思います。

ただでさえ、多忙なのにわざわざ病院の外に平日外出して、慣れない作業を行うのは無駄以外の何物でもありません。

そうすれば、書面で必要なものは様式3だけになります。

これも、スキャンして送れば十分ではないでしょうか。

疑義のある場合は、病院や所属機関に電話して確かめればよいだけです。

 

ということで、日本NP大学院協議会側の言い分もたくさんあるのでしょうが、基本的に無駄なことを行っているという自覚は持つべきかと思います。

いわゆるお役所仕事というやつですね。

無駄な手数料ばかり取られてしまいます。

所属は看護部か診療部か

タイトルは、診療看護師(NP)の話です。

この話、色んな所で聞きます。

最近個人的に読んだ本で、80対20の法則というものがありました。

これは、いわゆるパレートの法則というもので、一言でいえば組織の20%が組織を動かしているということです。

 

この80/20の法則は色んな所で応用可能です。

たとえば、診療看護師は医師の業務の80%を担う事が可能となれば、医療にかかるお金(医療費)は今よりもっと安くて済むはずです。

そして、医師が行うべき仕事の8割を担うということは、単純に医師の仕事量が激減するということにも繋がります

 

例えば、米国ですとNPの場合は医師の8割程度の医療費といわれています。

当然患者さんが選択していきますので、安価で質の高い診療を受けれるのであれば、それは医療費の観点からも役に立ちます。

 

タイトルの話に戻りますと、診療看護師(NP)は看護部所属が多いと思います。

看護部の言い分では、労務管理ができるといっています。

けれどもこれは嘘です。

看護部の担当者は残業が増えた際には、「早く帰りなさい、あなたのマネジメントが悪いです」としか言いません。

これは多少語弊のある言い方かもしれませんが、これが多くの労務管理における看護部の方策です。

 

休憩もとれないと言っても、「それはあなたたちが選んだんでしょ」といって、「この人達は休憩もないのよ」って言っています。

冗談なのでしょうが、クタクタになって働く身としては、非常に心を打たれる発言です。

 

一般的に、月々の平均残務時間の目安が、30時間といわれています。

当然ですが、勤務場所にもよりますが日勤しかしていなくても、最初の1週間で残業だけで30時間を超えてしまいます。

例えば、朝1時間早く来ます、17時終業として22時まで残れば、1日で6時間の残業です。

これを、5日間行えば30時間になります。

 

そして、30時間以上の残業請求をおこなうと、マネジメントができていないと言います。

最終的には、30時間までしか請求できない決まりを作り始めます。

 

これでは、どこに向かって議論しているのかわかりません。

プログラムの構築の事に関して進言しても、その場ではわかりましたと言うだけです。

最終的には、現場の意見を取り入れずに、プログラムを作ればそのプログラムは脆弱なものにしかなりません。

 

残業を減らすためには、残業代を請求できない仕組みを作るのではなく、残業しない仕組みを作るしかありません。

労務管理労務管理と言っていますが、結局残業が増えれば診療科の責任にします。

看護部は悪くないと。

 

そんな看護部ですから、当然どこの病院でも人はやめますし、研修医のことを下に見ますし。

正直、看護師の多くはインテリジェンスが低いと言わざるを得ません。

もちろん、すごく勉強されて看護を体系化されている方もいらっしゃいます。

けれども、一般の病院の多くはこれが現状だと思います。

 

組織であるからには、協働しなければなりませんし、知らないのであれば教える事が必要です。

教えることができないから、怒ることしかできなくなります。

怒ればどうなるか、相手が反応すれば喧嘩になりますし、相手が反応しなければ相手は大人だったということです。

 

完全なる偏見ですが、手術室や救急にそんな人が多いです。

そして最も多いのが、師長以上の管理職です。

 

こんな事ばかりやっているから、中卒でもなれる資格から脱却できないのです。

中卒を蔑んでいるわけではありません。

中卒でもすごい人はたくさんいます。

 

看護師の場合は教育体系がそもそも構築されていませんし、個人のメタ認知やアンガーマネジメントができていない人が多すぎます。

もちろん女性が多くを占める職業ですので、そんな日もあると思います。

とはいえ、職業人としてそこは先を見据え、鳥瞰的視座で自らを見つめることが必要なのではないでしょうか。

 

ということで、看護部所属だからといって診療看護師の利点はあまりないように思います。

結局どこの看護部も護ってはくれません。

自分でどうにかするしか無いのです。

 

その境地に一部の看護師はたどり着きます。

そうなると、上層部は護ってくれないという事を理解していますので、思考の幅が広がります。

結局、狭い世界の上司に頼るよりは、自分で勉强して看護という狭い世界から早期に脱却するしか無いのです。

自分が考えを変えるしか無いのです。

看護師の主体性

仕事が楽しいと思えるかどうかは、仕事自体を自分自身で組み立てられるかということがあるそうです。

 

ほかにもこの仕事に就きたくて選択したと言うよりも、社会的地位が高いから選択したという理由でも、最終的にその仕事を好きで選択できればよいのだと思います。

 

スティーブ・ジョブズ氏が、仕事を好きな職業として選択することへの、教えとして有名なスピーチがあります。

しかし、ジョブス氏も最初は大学を中退し、インドに自分探しのたびに出かけたりと路頭に迷っていたことが伺えるエピソードがあります。

けれども、最終的には自分が行っている仕事について、その仕事を好きになり、世界を変える成果を提示しています。

 

先に書きましたように、仕事のプランを自分で組み立てられるかという観点からは、看護師の仕事というのは、対局にあるような気がします。

 

医師や薬剤師やリハビリスタッフやCEや放射線技師や栄養士やソーシャルワーカーなど、病院には多数の職業の専門家がいますが、ナースは概ね仲介役的な役割を担っています。

加えて、患者対応や患者家族対応など、ほんとに多忙です。

 

なんで多忙になるのかと言えば、看護師がやるべき仕事が多岐にわたり過ぎるからです。

多忙であるということと、仕事は好きということは別物になります。

自分で色々な選択権を持つ仕事であれば、仕事は自ずと好きになるはずです。

けれども、臨床の看護師は自分の仕事が好きだけど大変だから仕事はしたくないという方が多いような気がしています。

 

これは、非常にもったいないです。

看護師はもっと声を上げるべきだと思います。

だって、病院で最も大多数の職業なのですから。

自分たちが働きやすいように、カイゼンを積み重ねて、自分たちで自分たちの仕事における選択ができるようにすべきです。

 

例えば、救急要請は医師の判断で受け入れの可否はほとんど決められてしまいます。

看護師が忙しいとかは、あんまり関係ないです。

 

しかし、医師が多忙な場合は救急要請を断ることもあります。

まあ、もっともな理由のような気もしますが、看護師としてはずるいな、とも思います。

 

日常の仕事についても同様です。

1日の仕事はだいたい決まってはいますが、ナースコールの対応や突発的な医師の指示に加え、リハビリスタッフからはもっとアクティビティをあげて、とか医師の変な薬の出し方により、細かな調整が必要になったりと、繰り返しますがほんとに忙しいのです。

 

多くの専門職では、このようなことはありません。

自分の決められた範囲のことをたいてい行います。

けれども、看護師の行う仕事の範囲は広すぎます。

広すぎるがゆえに、ジェネラリストとかいう、よくわからない称号を与えられて、イコールなんでも屋みたいな扱いになりがちです。

 

ジェネラリストとは、本来深く・広くあるべきです。

けれども、看護師は広く浅く担ってしまいます。

多くの看護師は、医療のことを何も知りません(わたしの経験です)。

 

病院の上層部にも問題はあります。

看護師も専門性を発揮しようとしていても、半分命令のような形で全く異なる部署に移動させられることも稀ではありません。

 

これがいいとか悪いとかではなく、専門性を追求し成果を残しているものに対しては、その部署でより良い成果を残すようにバックアップすべきだと思います。

例えば、クリティカルケア領域の認定看護師を取得後に、全く異なる部署に移動させられることは比較的よくあると思います。
本人の希望であればよいのですが、集中治療室で本来発揮すべき能力の無駄遣いにもなりかねません。

 

とはいえ、認定看護師のレベルにも幅があり、ほんとに何も知らない方もいらっしゃいますので一概には議論できませんが、一般論としての話です。

 

ということで、看護師の離職の原因にもなりますので、自分の仕事は自分で組み立てられるようになりましょう。

医師をはじめ横から変な指示を出された場合には、協働することが必要ですので、十分にディスカッションしましょう。
一方的に反論する看護師がたまにいますが、良い気は全くしません。
その反論が、何の役に立つのかさっぱりわかりません。

 

ある大学病院では、夜中の3時に目薬を出してくださいという電話をしてきます。

それが当然という風土があるのでしょうが、そのような一方的な態度が、自分たちの頸を締め付けることに繋がります。

つまり、何も考えていないという事です。

 

協働するということは、医師が行うべき道順がある程度共有できていることでもあります。

道順を共有できるということは、診断の道筋も共有出来ているということになります。

看護師は、そんな簡単な仕事では本来無いはずです。

 

まとめ

看護師は、病院のマジョリティとして、もっと声をあげましょう!

ただし、声のあげかたを明らかに間違っている看護師が、わたしの経験では大多数ですのでもっと勉强したほうがよいと思います(とくに大学病院)

 

〇〇医大の給与問題

個人的に、看護師と給与の関係は根深いと思っています。

 

というのも、看護師の多くはこの仕事だけで生計を営んでいると思います。
すなわち、給与がでないイコール生活の困窮に至る可能性があります。

 

最も、若い看護師は夜勤を行うことで、夜勤手当を含めると給与はそれほど悪くないといわれています。

けれども、年を重ねるにつれて昇給幅が小さく、夜勤もしんどくなってきます。
そのため、大学病院のような大病院で勤務する看護師の多くは、退職していきます。

 

幸いにもつらい時期を乗り越えて行けば、ほぼ自動的に師長になれます。
自動的と書きましたが、完全に自動なわけではなく、一応師長になるための研修はあります。

 

医師の場合は、最低週1回の外勤があります。

この外勤で医師の場合は稼いでいるとされています。

一方看護師の場合は、どうかと言うと外勤制度などありません。

外勤が無いということは、勤務先の病院からもらった給与そのままが自分の給与のすべてという事になります。

 

最も、看護師の外勤は規定で禁止されている場合もありますが、完全にダメというわけではなく、アルバイトを行うものもいるようです。

しかし、副業としてのアルバイトで稼いでも何の意味もありません。

もらえる給与は増えますが、それだけ税金も増えるだけです。
そのため、副業するのであれば本業以外での稼ぎを増やす必要があります。

つまり、事業所得です。

事業所得青色申告を使うと、様々な税制上の利点があります。

最も効率的かつ効果的な節税方法であると言えます。

 

なんで副業について書いたのかといえば、看護師の多くは本業のみで生計を立てている人ばかりだからです。

つまり、給与が少ない→じゃあ夜勤の回数を増やそう→夜勤が辛いけど・・→超過勤務で増やそうなどのパターンです。

 

わたしの知り合いにもいます。

夜勤明けで自分の趣味でエコーを当てて、その時間を残業請求するという強者がいました。

当然上司からは怒られますが、上司も残っている事実がある以上は給与を支払う必要がありますので、支払わざるを得ません。

そのような、一般的常識に欠けた人が集まると、病院としての損益ばかりが増えることに繋がります。

 

そもそも、病院における金食い虫のトップは人件費です。

その人件費への介入を行わない組織は、考えものです。

 

タイトルに戻りますと、〇〇医大の給与問題はYahooニュースのトップページでも話題になるほどです。

当初、ボーナスを支給しないとしていたが、結果的に何があったのかは知りませんが、1ヶ月分くらい(ナースだと20万くらい)はもらえるようになったようです。

 

この結果をどのように分析しましょう。

1つ目は、ボーナスを支給しないという前例が出来たこと。

2つ目は、ボーナスを格安で支給するという前例ができたこと。

3つ目は、組織マネジメントとして、看護師を府兵の如く扱ったこと。

4つ目は、府兵のような看護師が、大量に退職したこと。

5つ目は、400名の退職者に対し、350名の募集をしていること。

ほかにも、まだまだありそうですがこれらについて書いてみようと思います。

 

まず、ボーナス未支給問題と低額ボーナスの支給については、前提ができてしまったという点は他の病院からすれば懸念点です。

 

そもそも、病院の経営は専門家が行うべきですが、非営利組織である病院の多くは独自の路線で、救急車は断るな、救急車で来た人は前例入院なのよくわからない路線を突き進む経営者がいらっしゃいます。

これは、税金が足りないから消費税を増やしましょうというロジックと似たようなものです。

 

そんな経営者ですから、〇〇医大ではボーナス20万円なんだから、25万円でているだけでも感謝しなさいという組織が現れてもおかしくはありません。

現に赤字経営の経営者は、そのように考えていることだと思います。

 

3ー5つ目に関しては、もはや優秀な看護師は集まらないでしょう。

普通に考えて、給与は安くて、新人ばかりの病院に行こうと考える人はよほど、ものずきだと思います。

そのため、就職先として選択するとは到底思えません。

ということは、これからどんどん看護師のレベルが下がる可能性があります。

大学ですので、レベルの高い看護師が少ないのかもしれませんが、看護師のレベルが上がる要素はゼロに近い気がします。

 

一度底辺まで見た看護師達が、手を取り合って良質な成果を提示できればそれに越したことはありません。

いくら腕のよい医者がいるとはいえ、看護師が少なく、新人ばかりだとすれば医療事故も増えるでしょう。

自分だったら・・・入院したくないですね。

そして、指示を出す医者も適切に実践してもらえない看護師との間に、軋轢が生まれる可能性が高いと思います。

 

とはいえ、実際をみたわけではないので、全ては推測にすぎません。

このような病院に就職しようと思った人達がどのような人なのかは、興味があります。

 

看護師はミニドクターであるべきか

これは長年議論され続けていますが、一向に答えの見つからない看護師の七不思議の1つと言って良い問題だと思います。

 

そもそも看護師は何を目的として、看護師として働いているかという事かと思います。
勤務場所が、江戸時代であれば、腹痛の患者さんに対しては、手当てと言われる、看護師の手を患者さんにあてて腹痛を緩和させる処置は必要だったと思います。

一方、現代では看護師が手を当てて良くなるシチュエーションは、とても限定的であると思います。


けれども、看護師の方はこれこそが看護だと言いはります。

エビデンスの話をすると、私は医師になりたいわけではないといいます。
そういう議論をしているわけではないと言っても、議論は平行線です。

 

現代における薬や侵襲的処置以外で、患者さんの症状を緩和させることこそが看護だという方が、多い様に思います。

 

医療というのは、実は恣意的なもので、誰が見ても同じような事象を想起させることが必要です。
そのために、診断というものがあります。

例えば、呼吸不全の原因は様々ですが、肺炎、それもよりスペシフィックに市中肺炎、さらに肺炎球菌にる市中肺炎、さらにさらにCURB-65 でスコア2の肺炎球菌性肺炎と言われれば、大方その患者さんの状態や今すべきことが共有できます。

 

それが診断です。

 

看護にも診断があります。
看護診断というやつです。

看護診断は得意ではありません。
たぶん、医師の99%以上は、看護診断がどのように構成されているか分からないと思います。


でも、看護師は頑なに看護診断を使います。

非効果的気道浄化という看護診断名がありますが、このような看護診断であれば、人工気道であったり、喀痰喀出が困難な患者さんであることがわかります。

診断とはある事象を共有するためのものですので、このような使い方であれば、良いのだと思います。

 

何が問題かと言われれば、看護の中だけで全てを解決しようとしていることが時代錯誤のような気がします。

 

例えば、タスクシフトなどといわれる、医師の業務を看護師や他職種が代替することが最近話題となっています。
これは、看護師特定行為など、医師でなくても可能な医業の一部を医療の専門家である看護師に担ってもらうことが目的です。

けれども、過去頑なに医師の業務を行なってはならないと洗脳されてきた看護師にとっては、とてもできませんと言うことになります。

 

もちろん看護師といっても人によりますので、看護師の大多数の人の話です。

 

女子医大では、ボーナス支給ゼロ円に端を発して、400名を超える看護師の退職者がいるという噂がありました。

さすがに、看護師に同情する声もあります。

 

その一方で、大学病院のナースは何もしないとか、研修医の頃いじめられたとかいう声をよくよく耳にします。
これは、看護学生や新卒看護師であっても同様です。

 

そのような先輩たちを見てきた結果、2年目とか3年目になって、びっくりするほど偉そうな態度を取ることが当然のような振る舞いをみせます。

当然そのような看護師は、知識ゼロ以下といってよいほど知識はありません。

 

ただただ、その部署で働いてきたから、働き方を学んだだけです。

 

自分達では、何の成果も示さず、ただひたすら新人の仕事に慣れていない医師や看護師の事を罵倒してきたのだと思います。

 

そのような部署でわたしも研修を行なったことがあります。

その大学病院で最初に教わったのは、身体抑制の仕方です。


先輩はこのように教えました。

「絶対に外れないように、腕をしっかり占めて、さらに結んで、手をベッドに押さえつけた状態で、その抑制帯の先はベッドの下の手が絶対に届かないところに2重に真結びして、さらに余った紐は患者さんの手が絶対に届かないさらに遠いところに、さらに2重にして結んでください」

と言われました。

 

当然、唖然としました。

それを、彼ら彼女らは当たり前にやっているのです。

なにも考えていないのです。

 

あるのは、点滴などを事故抜去されずに、自分の勤務を終えることだけです。

論文を読めば、身体抑制で自己抜去を予防出来ないということは自明です。

 

そして師長は、その結果自己抜去がなければ、よくやっています。

自己抜去があれば、抑制どうなってたの!といったありさまです。

医療において、どこ見てんのかわかりません。

 

ですので、わたしはミニドクター的な視点は必要だと思います。

特に急性期病院では、時間の流れが早いですので、コモンディシーズにおける簡単な診断や治療の知識くらいは、看護師でも出来ることが高度化された医療において当然獲得スべきスキルであると思います。

 

看護師ができるのは、休憩室で愚痴をいうだけです。

その先のアクションに移す人はあまりいません。

アクションに移せる人は、こんな看護師にはなりませんし、看護師を辞めて違う仕事をしていたりします。

そのような優秀な看護師を看護の世界から追い出してしまうのはもったいないと思います。

 

看護師の離職率はとても高いです。

けれどもそのような環境を提供し、容認しているのは、看護師長に代表される、偉い立場の人たちです。

 

医師は日本の学府のトップ集団ですが、看護師は一般的に下位集団だと思います。

そんな新人医師に対し、何もできねーなといった、手術室などでよく聞かれる看護師の声を聞くたびに、この世界どうにかならないものかと思ってしまいます。

 

個人的には、嘆願書を書いたり、みんなで看護部長へ直談判に行ったり、組織に対してはある意味、嫌がられるようなアクションをとってきました。

 

なにかを変えるには、リスクを取らなければ出来ませんし、知識も必要です。

そして、新卒医師達をバカにするような態度をとる看護師にとって最も必要なのは、ソクラテスのいう「無知の知」です。

 

自分が知らないことを知るということです。

 

私は、みんなの前でこの言葉を言いましたが、「難しいことばかり言っても人はついてきません」といわれました。

 

この組織では救急看護師のファインプレーを、師長は随分と評価していますが、ただの経験です。

野球のイチロー選手もそうですが、普通の人がギリギリ捕れない球を、普通に捕ることの難しさは、真摯に勉强し、教育を受けてきたものにしか見えない景色だと思います。

 

だからこそ、おかしいと思う看護師同士で手を取り合い、少しの成果でもよよいので、自分たちの成果と言えるものを創造していくことが必要なのだと思います。

 

女子医大の一件でそのように思いました。
けれども、上層部の考えが変わらない限りは、絶対に同じ過ちを繰り返します。

 

抜本的に組織改革を行なったことで、良い方向性に舵がとられ、看護のトップと言われるようになってほしいと思います。

 

大学病院は、最も先進的な看護が展開されるべきだと思いますが、市中病院の方が先を行っています。

その市中病院も似たような病院が多いような気がしますので、自分達で上層部を動かすくらいの気概が必要なのだと思います。

 

わたしも、がんばります。