日本語にすると、「よく起こること」と「重大なこと」のような表現になると思います。
日本中、どこの病院でも、「安全・安全・・・・」といっていますが、実は、安全ではないことはよくあります。
例えば、とても有名なものでは、「To err is human」に代表されるように、人は必ずミスをするという前提で、物事は考慮しなければならないということです。
これは、大前提です。
次に、人は必ず、ミスを起こすのであれば、「よくあるミス」と「起きたら命にかかわるミス」に分類することが必要になります。
まぁ、受けうりですが、旅客機が墜落するような事故は、すごく稀だと言われています。
けれども、飛行機事故のインパクトは非常に重大かつ、一度起きてしまえば、通常乗客乗員は全員死亡します。
世界の飛行機事故で、年間何人死亡しているのかは知りませんが、多分数えられるくらいの人数だと思います。
けれども、医療ミスでなくなる方は、数十万から数百万になるのではないかとも言われています。
以前、米国では、10万人や500万人の命のキャンペーンというものがなされ、多くの成果をあげたとされています。
それほど、医療を契機に亡くなる人は多いのだと思います。
この(医療事故)問題として、多くは、各施設で完結しているという事があげられます。
「ランダム化比較試験」というものがありますが、「一般化」するためと「症例集積」の観点から、「多施設」で行うということは近年では、常識のように捉えられています。
「単施設」研究だと、「ランダム化比較試験」であったとしても、その試験の「質」は大幅に低下することとなります。
実は、この医療事故の問題に対しても同じだと思います。
いくら、自施設で検討を繰り返したとしても、他施設では、すでに経験しているということはよくあることだと思います。
もっとも、最近は他施設で起きた医療事故をインターネット等で、知ることは容易となっています。
けれども、多くの病院は他人事としか(たぶん)考えていないために、実際に自施設で発生した医療事故により、てんやわんやとなるわけです。
その結果、勤務しているスタッフの負担は増加し、その増加した業務に伴い、注意力が散漫することとなり、見えない医療事故は、増加することとなります。
この「みえない」医療事故というのは、大きな問題です。
「カテーテルのある方が発熱しました」→「カテ感染ですね」という会話は、比較的多く行われていることかもしれません。
しかし、カテーテル関連感染症は一般的な事象だと思われていますが、これらは予防策がいくつかあります。
予防策を行うことで、ある程度は制御可能なものです。
そもそも、カテーテルがなければ、カテーテルに伴う感染症は、生じるはずがありません。
ということは、そもそもカテーテルが必要なのかの議論が「毎日」必要になります。
物事を「はじめる」ときには「おわる」ときの事を常に考慮すべきです。
「みえない」医療事故は、認識されていないという事が大きな問題です。
患者さんは、余計な感染症等にかかるために入院しているわけではありません。
そもそも、入院理由とは別の事象が発生し、余計な医療費や患者負担の増加をきたすようであれば、医療としての前提が崩壊してしまいますし、本末転倒です。
医療においては、「よくある」事と、めったに起きないけど「おきたら重大な事」に対する介入は、それぞれ分けて考慮すべきです。
実は、以上に記載した様な事は、現場のスタッフは知っています。
知っているけど、病院という組織が、そこまでを厳しく追求しないため、ついなおざりにされているだけなのだと思います。
「KYT」とは、危険予知テストといわれるものです。
現場の医療者に限らず、車を運転しているものであってもそうですが、常に危険性を予測しており、「このようなシチュエーションでは危ない」という事は認識されています。
たとえば、車の運転であれば、カーブにいつも駐車されている車があり、「ヒヤリ」とした経験がある、などです。
医療でも、同様でヒヤリとした経験をしていたり、危険性を認識しているはずですが、多忙な臨床現場に看過されているだけなの思います。
医療現場でもっぱら興味のあることは、「目に見える」ものです。
例えば、患者さんがみずからに挿入されている管を抜くことなどです。
患者さんが、みずからに挿入されている管を抜く事が可能なのであれば、そもそも不要であった可能性の方が大きいです。
けれども、必要性は絶対にあったという前提で話が進んでいきます。
その結果、抑制をしっかりしましょうということになります。
ある病院では、あさのカンファレンスで「確実な抑制よし!」と復唱をしている施設もあります。
そもそも、抑制により自己抜管(自分で管を抜くこと)が予防できないということは、明らかとなっています。
これは、普通の認識では、奇異でしかありません。
完全に、医療者目線の、復唱でしかありません。
抑制は、罪悪感を持ちながら他に代替手段がない場合に、実践するものです。
ある病院では、新人看護師さんに、まず抑制の確実なやり方を教えていました。
まず、教えるべきは、「この方に抑制は必要なのか?」というアセスメントであるべきです。
タイトルをまとめますと、よくあることと、めったに起きないけど起きたら重大なことは、分けて考えるべきです。
同じ対策をしていれば、多忙な医療現場の首を締めることになります。
その結果は、患者さんの安全を守るためのものであるはずの対策が、実は患者さんにとって有害なことにもなりかねません。