看護師の世界には、既卒(きそつ)という言葉があります。
通常、当然のように使っています。
けれども、看護師以外の世界では、あまり聞いたことが無いように思います。
ジャーゴン(jargon)とは、仲間うちだけに通じる専門用語のことです。
手元にある、iphoneに入っている大辞林で「既卒」を検索すると、すでに卒業した人のことと説明してあります。
同じく、医療職の代表である医師はどうかといいますと、「私、既卒なんです」といっている人をまず聞いたことがないです。
けれども、そのかわりに(おそらく)日本の医師は「◯年目です」というのが、挨拶における常識のような気もします。
内科系でしたら、医師5年目位の後期研修を終えるころには、人にもよりますが、通常の診療においてはほとんど問題なく業務をこなすことが可能となっています。
外科系ですと、そうでもないのかもしれません。
個人的には、◯年目というのは、目安にはなるのかもしれませんが、仕事ぶりこそが最も重要だと思います。
専門にもよると思いますが、3年目でも10年目より、”できる”医師はそれなりにいると思います。
医師は、比較的転勤が多い、というか転勤をしなければならない、というくらい当たり前になっています。
一方、看護師は、転勤せずに継続して一つの施設で勤務し続けることで、看護師長とかに、半分自動的になっているような施設が多い気がします。
けれども、専門職(国家資格ホルダー)ですので、嫌になったら、他の病院などで働くことを選択する看護師も、それなりにいます。
医師と看護師という、同じ病院で働き、同じ国家資格であるはずですが、なぜ看護師は「既卒」になるのでしょうか。
それは「今までの経験は評価しますけど、うちの病院でのやり方を学んでもらいます」、という意図が、この「既卒」という言葉を選択させているような気がします。
個人的には、なるべく「経験者」などという言い方をしています。
そんなのなんとも思っていないのでしょうけど、個人的には気になります。
経験者は、様々な変化に気づきます。
同じ施設で、ずっと働くと変化を見落とし、それが常識になります。
その常識を、経験者へ要求するので、「うちの施設では、既卒は持たない」とか、平気で言うようになります。
そんな病院の既卒者プログラムを見て、仰天したことがあります。
15年の同じ領域の経験を持つ看護師だったのですが、1ヶ月間はシャドーイングといって、先輩?看護師の後をついてまわるのです。
聞いてみると、前は2ヶ月のシャドーイングだったとので、短くなりました、とのことでした。
こんな人財の無駄遣いは、やめていただきたい。
発言しても、「ここでの歴史があるから」と、みんなで声を揃えて言います。
そりゃ、みんな辞めるでしょ。。
頭の悪さを露呈しているのか、これが正しい方法なのか、わかりません。
私は、前者だと思っています。
けれども、この方法を科学的に検証していないので、なんとも言えません。
看護は、いかなる場合においても、科学的であるべきです。
科学的とは、検証可能で、再現性を持つということに近いと思います。
経験者の人が続かないのは、なにか問題があるからです。
その問題に、経験のある看護師は、気づけるようになるべきです。
「認知する」ということは、最も大切なことです。
なぜならば、認知しなければ、アセスメントもできないですし、行動変容もきたせないからです。
例えば、呼吸数が23回に増加している患者さんをみて、気づくのか気づかないのかは、大きな問題です。
その様な、細やかな感覚を長年いる看護師には身につけてもらいたいと思います。
とはいっても、通常は無理ですので、臨床業務に「カイゼンカンファ」などを、設けることが良いと思っています。
測定なくしてカイゼンはありません。