診療看護師と呼称される方々は、学術集会でその功績を発表されている方も多くいらっしゃいます。
ちょっと気になるのは、発表されている研究のデザインの問題や、そもそも学術的に妥当とはいえない(と思われる)ものまで散見されると感じています。
じゃあ、学術集会はきちんとした研究デザインのものばかりが発表されるべきなのか?と問われると、そうとは限らないといった所だと思います。
日本の経済には、学術集会を行うことで、移動にかかる費用や、学術集会の会場周辺の経済効果など多数あると思います。
しかし、学術的にはそれほど勉強になるわけではないですし、学術集会への参加の是非は個々人で判断されるのが良いと思います。
そもそも、旅行目的の人が多くいらしゃると思いますし。
旅行目的で、学術集会(海外含めて)に参加すると、(内容は問わず)病院からお金を出してくれる所が多いと思います。
日記のような内容でも、国内の学術集会では、たいがい採用されています。
そこで、昔の仲間と久しぶりにあったり、他の参加者のプレゼンテーションを聞いたり、学術的である事以外を学ぶことのほうが多いような気がします(個人的に)。
よく、日本の医療者の研究で指摘されることに、「3(さん)た論法」というのがあります。
〇〇をやった。効いた。良い結果となった。
という、3段論法とも言われます。
この3つの「た」の文脈には、根拠が何もないことが問題なのだと思います。
論文は、文脈を読む様な読み物ではないと思います。
事実だけを、型に沿って記載されているものです。
また、研究にとって大切なのが「再現性」です。
例えば、診療看護師が〇〇をやったから、よいプロセスを辿り、良い結果が出ました。
と言うのは、診療看護師にとって定番かと思います。
けれども、その研究は再現性(一般化)可能なものなのでしょうか?
発表者の施設の、〇〇さんが頑張って出した結果は、他施設では応用可能とは言えないと思います。
そのような発表は、もはや武勇伝的なものだと思います。
診療看護師って凄いでしょ?みたいな感じです。
世の中の診療看護師さんは、もう少し科学的妥当性のある研究デザインが出来るようになると、この世界も発展していくのかもしれません。
そもそも、大学院なのに、研究のプロセスがないのもどうなのか、とも思います。
けれども、臨床系なのでいらないんでしょうね。
ただ、個人的には臨床系とか研究系とかって分けるよりは、臨床と研究はパラレルな関係性にあるものなので、どちらも大学院で学ぶという方が良い気がします。
少なくとも、課題研究の様な形で、可能であれば修士論文も。
でなければ、臨床で〇〇やって凄いでしょ?
で、〇〇やってよかった、という発表を行って。
論文は書きません、といって。
英語論文は読めません、といって。
みたいな人が増えないことを願います。