医療における収益への蓋然性について

医療を行う主な場所は、病院である。

病院は、非営利組織でもある。

 

非営利組織とは、営利を目的としないだけであり、きちんと収益を上げることも大きな課題である。

とくに、私的な病院においては、喫緊の課題である。

 

多くの公的病院は、過去赤字経営を続けたことに伴い、破綻を強いられた病院も存在する。

 

筆者の所属する病院では、例に埋もれずDPCという診断名により、収益が異なってくる方式を採用している。

日本のどの程度の病院が、DPCなのかは知りませんが、入院病床を持つ病院の多くはDPCを採用している。

 

たとえば、〇〇という病名に対しては、◯日の入院期間の猶予を与えます。

ですから、◯円の範囲内で、きちんと治療して退院させて下さい。

というのが、すごくざっくりとしたDPCである。

 

だからDPC病名というのは、組織運営を行うにあたり重要になってくる。

臨床的に似たような病気を挙げると(ホントは全く異なる病気ですが)急性呼吸窮迫症候群と心不全、肺炎と誤嚥性肺炎などは臨床経過的には、比較的似たような症状ですが、DPC病名が異なるだけで、収益は大きく異なってくるようだ。

 

このあたりの金銭的収益への問題については、私的病院のほうが先を行っていると思う。

 

医療界における大きな問題は、各組織が儲かることで、国民医療費は果たして減少に寄与することが可能か?という問いを持つことも必要だと思う。

普通に考えて、病院が儲かるということは、医療費は増大するということである。

 

国民医療費は40兆円を超えている。

先日、トヨタ自動車会社が純利益2.4兆円がニュースになっていました。

世界で1・2を争う自動車会社ですら、純利益はこのていどであり、国民医療費がいかに高いかがよくわかる。

 

現在、生活保護受給者の医療費等も含めて、少しずつ見直しがなされている。

今後、日本も入院の閾値はさらに高くなり、医療費の多くを占める高齢者の医療の方向性は、在宅を中心に移行せざるを得ないのは明らかである。

 

人の命を金銭へ変換しているのが、一部の医療の闇でもある。

今後は、これらの闇が少しずつ議論の対象となり、より良質な医療を模索して行かなければならない。

 

集中治療の領域では、集中治療後症候群という概念が近年提唱されている。

過去、重症患者は28日死亡率の改善が全てであったが、現在は数ヶ月・数年後にまで集中治療の影響を及ぼす事が示されてきている。

 

長寿は良いことである一方、健康寿命へ寄与するために、できることは医療費を使うことではなく、予防を含めた戦略と根拠の構築である。

医療において、意味を成さないものはその根拠を提示し、淘汰されていくべきであろう。