教育とは、分割すると、「教える」と「育む」により形成されます
語源をたどるとおそらく、教え、育むことが、教育の目的であるはずです
つまり、職人にみられるように、「背中をみて覚えろ!」というのは、少し違うことに気づくはずです
本来、職人さんにおおくみられる「背中を見て覚えろ」というのは、あまり正しくありません
といいますのも、背中を見ていても、あまりわからないからです
大切なのは、師匠の手の先(思考の先)を、みることが大事なのだと思います
思考の先を、みることで、多くの困難とともに、その人の思考(何故、そうなったのか)ということもわかります
教育の語源の話に戻りますと、「教える」ということは、マストであるということです
「聞いてこないから」教えない、というのは、すこし違います
全力で教えて、初めて伝わることもあります
わかっているから聞いてこない場合、わかっていないから聞いてこない場合もあります
わかっていると思っているけど、本当はそれほど理解していない(全体像を捉えきれていない状況)場合もあります
できる人は、だれが教えてもできます
ただ、教えることで、その人はよりできる人になります
教育の本質は、できない人をデキる人に育てる事だと思います
一流企業で業績を挙げている企業は、障がい者を多く雇用しています
障がい者は、理解度が低い場合がおおい、という前提で話を進めると、普通に教えていても、(自分の想像より)はるかに理解していないのだと思います
理解度が低いという前提で話をさらに進めますと、システムとして利用可能な方策を講じなければならないわけです
例えば、
・ものを探すときは、写真付きでわかりやすくする
・場所の定位置を決めておく
などの、いわゆる「5S」にもつながってきます
患者さんに実際に対峙する、医療従事者としての障がい者は、筆者は、たぶん見たことないです
たしかに、一歩間違えば、大きな損害を被ることになります
そのような、被害をリスクヘッジするシステムを創るには、どうすればよいか、ということを考えなければならないわけです
そうすることで、医療はさらに良くなります(おそらく)
医療職は、すごく稀な専門職団体です
それぞれの、主張も強いです
けれども、障害者雇用を前提にした議論を行うことで、医療はより健全化すると思います
医療保険をはじめ、医療界は、いわゆるブラックボックスとなっています
もうすこし、「みえる」「わかりやすくする」工夫は必要だと思っています
教育の話に再び戻します
教育の本質は「理解してもらう」ことが大事です
けれども、理解してもらっただけでは、なにも変わりません
例えば、心停止患者さんの対応を理解したとします
実際の患者さんに対峙した際に、その「理解したもの」を患者さんにアプライできるかということが、もっと重要だと思っています
極論で語りますと、「教育の本質とは、実践してもらう」事で初めて、発揮されます
あの人に、「教えた」「言った」「伝えた」では、受け手側は全く異なる理解ですし、伝わっていない場合が多くあるのだと思います
教育のさらに、大きな障壁として、その効用を測定できない(していない)場合が多いということです
「看護の質」をあげるために、勉強会を開催しました
では、本来の教育の1割程度に過ぎないと思います
「KAPのギャップ」という言葉があります
「わかる」「できる」「実践できる」は別物です
すべての教育者に言える事ですが、「実践できるようにするために、どうするべきか」を念頭に、教育の機会を見直してもらうと、より異なった教育へのアプローチが可能になると思います
この、実践できる教育を、おこなっているのが、シミュレーション教育になります
「急変」の機会には、それほど遭遇しないですし、「急変」はそもそも、起こしてはいけないはずです
そのような状況下では、シミュレーションが圧倒的に、効果を発揮します
例えば、パイロットやF1ドライバー等もシミュレーション教育に多大なコストを支払っています
そもそも、航空機事故で死亡する人は、殆どいませんが、医療事故でなくなる人は、天文学的とはいいすぎかもしれませんが、それほど多い数字です
以前、米国で10万人や500万人の命を救うキャンペーンが行われ、その効果は発揮されたとされています
その真偽の程はおいておいて、少なく見積もっても、数万人〜数百万人の命が救われた事になります
医療現場では、これほど多くの、本来死亡すべきでなかった者の命が奪われているにもかかわらず、シミュレーションに注ぐコストが少なすぎると思っています
近年、VRを利用した教育等も行われており、さらにシミュレーション教育は重要な立ち位置を占めると思います
そろそろ、臨床の看護師さんたちも、古い考えを撤廃して、イノベーションを起こしてみてはどうでしょうか?