診療看護師(NP)の所属は看護部か診療部か
結論
- 看護部の上層部の理解と行動力のある人なら看護部
- それ以外なら、看護部であるメリットがない
診療看護師(以下NPと略します)の所属問題は、未だに大きな問題です。
おそらく看護部所属の方が多いのだと思います。
個人的には賛成です。
賛成の理由は、NPは将来的には看護への参画が必要だからです。
現在、特定行為看護師の多くは、自分たちの領域を拡充するために、特定行為過程を履修しています。
これは、何を行っているのかというと、過去の遺産を少しでも償却するためだと思います。
いつも言っていることですが、看護師は医療職最大の職種です。
この人達が0.1ずつパフォーマンスを発揮できるようになれば、大幅に医療は健全化するはずです。
だからこそ、NPは看護へ貢献するべきなのです。
その経験と知識を活かして。
例えば、誰にでもできる仕事の多くを医師でなければできないと思いこんでいた、看護師は多く、現代でもその様な思想を持つ看護師は多くいらっしゃいます。
例えば、手術室だとどこにでもそんな看護師はいます。
聞いた話だと、医学生をわざと押し倒して、清潔野を汚染させたということもあるようです。
実際、田舎の私大の手術室に行った際は、そんなかんじでした。
人を見て、態度を変えるというやつです。
誰が可愛そうって、手術を受ける患者さんが一番可愛そうです。
大抵の人は、人生初体験の手術かもしれません。
そんな手術場に、変な看護師がいたらいい気はしません。
特に手術室の場合は、手術着に着替えますので、誰だかよくわかりません。
だから、医学生などの研修の身にある人は、ネームをつけるようにいわれます。
それは、よいことなのですが、そのネームにアンテナを張り巡らせて、嫌がらせする行為は最低な行為です。
最もそんな人は、テレビしか見て日常を過ごしていませんので、SNSですら情報をまともに収集できない人材たちです。
そんな看護師が、長年勤めあげると自動的に昇進します。
そんな看護師ばっかりです。
大学病院は。
そうでない場合は、ごめんなさい。
というか、そうでない人も絶対います。
ですが、大半の大学病院の看護師は、何もできないのにそんなに威張り散らしているのかわかりません。
そんな看護師の世界ですが、間違えてNPの道を選択される方がいらっしゃいます。
そして、看護師からの評判は悪く、何がなんだかわからない状態です。
ということで、そんなできない看護の多くが管理する組織では、NPとして働くとろくなことはありません。
例えば、心臓外科で遅くまで残っていたら、早く帰りなさい。
帰りが遅いけど、残業はとってはいけません。
月に25時間までです。
といった感じで、法律度外視で自分がルールになっています。
それでいて、管理をしている気になっています。
これが、大きな問題の元凶です。
残業において、何が問題なのかを明らかにしなければ、つまり草は根っこから引き抜かなければまた生えてくるのと同じです。
問題の本質を理解していないがために、この様なコンフリクトが生じてしまうのです。
そんな看護の部下たちは、やる気を失い、研究など、より成長しようとする行動をとろうとは思いませんし、何かあれば医師に報告して、〇〇医師に報告したけど、様子見でよいといわれた、と書くのが仕事になっています。
そこには、なんのアセスメントもありません。
やったのは、医師に電話して、その事実だけを記録に残しただけです。
小学生でもできる仕事になっています。
話を所属の話しに戻します
NPの診療部所属は、メリットしか無い気がします。
といいますのも、医師と共同して働いているわけなので、医師と同じシフトである事がシフトも組みやすくなります。
これが、看護部所属だとやたらと労務管理の話になり、少し労働時間が増えただけで、個人攻めされます。
診療部には何を言っているかと言えば、早く返してくださいと言っているだけです。
普通、代替案を持っていきます。
その代替案がないので、言われた診療部も困ってしまいます。
看護部お得意の、タダ言っただけというやつです。
まとめ
- 看護部所属とか自慢しているけど、結局看護部は何一つわかっていない
- それだったら、診療部所属で働いたほうが、よほど快適
診療看護師(NP)の教育プログラムの策定について
別のブログばかり毎日更新して、1年前にはこんな記事書いていました、というメールが届いたのので、たまにはこちらにも書いておこうと思います。
診療看護師(NP)は、各施設で様々な臨床プログラムが策定されています。
たとえは、日本版NPを養成する大学院に2年間行くだけで、NPと名乗れます。
当然ですが、資格認定試験ですので、その資格はなんの効力も持ちません。
そして2年間の大学院生活は、それなりにいろんな勉強をします。
臨床的な知識としては、向上するでしょうが、正直なところ、建物でいうところの躯体が重要です。
つまり、大学院でいくら勉強したとしても、その知識は上塗りに過ぎない知識なのかそうでないかに別れます。
躯体と例えたのは、コアの部分がしっかりしていれば、NPでなくても、専門看護師(CNS)や認定看護師(CN)であっても同様です。
NPの方々は、NPだけが秀でているような言い方をする方がいらっしゃいますが、その様な方々の躯体はボロボロです。
例えば、その方の行うプラクティスを問うと、その躯体の弱さが露呈されます。
なんの根拠も提示できません。
何でその様なプラクティスを行っているのか問うても、そのように教えてもらったから、です。
つまり、日本版NPとして、自分がどうあるべきなのかと問われれば、その様な日本版NPは、医師のお手伝いと言わざるを得ません。
個人的には、日本版NPは、医師のお手伝いでも良いと思っています。
けれども、自立・自律したNPを目指すのであれば、主体的に自分たちの能力を提示すべきです。
どのように提示するかは、一般的には客観的左証によります。
つまり、科学的な研究ということです。
ところが、日本版NPの方々の多くは、研究が苦手な方が多いです。
それは、NPと呼ばれる方々の論文を読めばよくわかります。
プロブラムの話に戻りますと、主に3種類の日本版NPがいます。
・当該施設から、大学院に行った方
・別の施設から、大学院に行った方
・大学院卒業後、臨床経験を経て当該施設に就職された方
この3種類があります。
この問題は、看護師でも同様なのですが、平等でないことが多いです。
例えば、当該施設から大学院に行った看護師であれば、卒後の看護師研修が不要とかいう、全く意味のわからないプログラムを策定されます。
正直何がしたいのか、わかりません。
自分の保身しか考えていないように思います。
その研修プログラムは、なんのためにあるのか、という「問い」が圧倒的に不足していると言わざるを得ません。
その日本版NPは、何を目的に学位を取られたのでしょうか。
だからこそ、看護師から、看護を忘れたNPと揶揄されてしまうのです。
大学院に2年行って、お世話になった組織での看護研修もせずに、唐突に自分たちだけが、先駆けて日本版NP研修に出るという、愚策に対しては、甚だ疑問しかありません。
むしろ、自分たちから看護師研修をさせてくれ、というくらいの気概がほしいものです。
いつまでたっても、成長できない組織とは、この様な組織であるような気がします。
他の方々も、同様に看護師研修を行うのであれば、同様に行うべきではないでしょうか。
自分が2年間大学院で学んだことは、看護師としてフィードバックできないのでしょうか。
そもそも、フィードバックよりも、自分たちの保身しか考えていないので、そのような行動をとられるのかもしれません。
全体を俯瞰できている人ほど、医療におけるキーパーソンは看護師であることを認識しています。
その看護師のシステムも、おかしなものばかりです。
結局何が言いたいのかわかりませんが、初期研修プログラムの策定の根拠は、明確に提示すべきということです。
それが「倫理である」ということではないでしょうか?
診療看護師と特定看護師の教育プログラム
診療看護師とは、米国のNurse practitionerを模倣して頑張っている団体が勝手に言っている呼称です。
一応学会では、診療看護師(NP)という括弧つきが推奨されています。
でもこの様な括弧付きの呼称は、あまりカッコよくない気がしています。
診療看護師とはいえ、免許はただの看護師免許です。
その看護師免許に、加えて特定行為ができるだけの看護師です。
ただし、これは法律上の話です。
一方、特定看護師は、看護師免許に加え特定行為ができるだけの看護師です。
つまり、特定看護師も診療看護師も同じです。
しかも、名称もそれぞれが勝手に言っているだけなので、何が正しいとかも無いです。
私達は、診療看護師(NP)だから、大学院出てるんだしとか言っている人もいますけど、そんな人に限って臨床の能力も無い人が多いです。
そして、自分たちの成果を提示しない場合が非常に多いです。
結局そんなひとたちが、NPとか言っているから、その周囲の看護師さんたちはNPに対し、あまりよい印象を持たない場合もあるような気がしています。
たとえば、その職種が自立・自律するためには、その職種に対しほとんどの内容を特定の職種が教育するだけでまかなうことができることが必要です。
例えば、看護師ですと看護師が教える、NPならNPが教えるといった具合です。
けれどもNPは先に書いたように、「自分自分」っていう人が結構います。
先を見据えないと、自分がいろんなことができるようになって、「私すごいでしょ」で終わりです。
周囲には、迷惑しかかかりませんし、後進も育ちません。
若手の医師がそのような場合は、「若いな」で良いのですが、看護師経験を持つNPであるからこそ、先を見据えて行動してほしいと思います。
医療においては、ある程度の未来予想図を誰しもが持っているはずです。
その中では、チームとして機能するための協働も大きなテーマです。
そして、協働するためには、後進への教育も非常に重要になります。
いつまでも「自分」ばかりが最前線に立っていても何も見えてきません。
大学院での教育も、もう少し組織論について時間を費やしても良いのかもしれません。
医学的な事であれば、医師に聞けば良いですが、組織論のことを聞いてもそんなに詳しい人は少ないと思います。
NPの詳細はNPにしか分かりません。
そのため、NPがNPを教える体制作りが必要になるのです。
そして、話は変わって特定行為の話になります。
特定行為の習得には、ある程度の実習が必要になります。
けれどもNPもいて、特定看護師もいた場合は、手技の取り合いになります。
研修医や後期研修医とも手技の取り合いになります。
そもそも、私の意見ですが、手技の習得を最低限行うということは悪い事ではありませんが、医師の手技の機会を奪ってまでも行うことではありません。
私が医師の立場でしたら良い気はしません。
そして、特定行為の実習生が手技を行うためだけに、病棟などに来てドレーンを抜いて終わり、ということも同様に、あまり良い気はしません。
手技をやる方も、管を入れたり抜いたりするためだけに、病棟などに出向くのは良い気はしないでしょう。
だからこそ、勤務の流れで行うべきなのでは無いかと思っています。
もちろん、最低限クリアすべき項目の履修も必要なのかもしれません。
そして、看護部は肝いりではじめた特定行為研修生を大事にしがちになります。
自施設で育てたからです。
そうなると、NPと特定看護師の間にも溝ができてしまう可能性もあります。
業務内容はそもそも、NPとは異なるので、NPはもう少し頭を鍛える努力も必要です。
そして、自分が働くなかで手技の機会が必要に慣れば、医師に教わりながら行えば良いのです。
何度か行っているうちに、今度は医師やNPや特定看護師を指導する側になります。
指導する側に回るということは、その手技に関してはある程度のことは何を聞かれても、対処できなければなりません。
そして、その根拠(元となる論文やガイドラインや二次文献)も知る必要があります。
ここにはこう書いてあるよ、という受け売りがNPには必要です。
あの先生がこう言っていた、ではいつまで経っても自律できません。
まとめ
NPはもう少し教育的視点が必要
NPはもう少し研究的視点が必要
NPは臨床は頑張っているけど、その根拠は誰かに聞いたというエビデンスレベルの最も低いものが多い
特定行為看護師は手技単体ではなく、もう少し系統的な流れで手技が行えるようなシステム構築が必要
NPと特定行為看護師は、棲み分けも必要だけど、実際はNPの能力が低い場合もおおい
とにかく、謙虚さを持ちましょう!!!
そして、先を見据えた行動を取りましょう!!!
余談
NP学会学術集会はホントにまともな研究が報告されるようになってきました。
そんななか、私はこれだけの手技を行いましたという手技自慢もあります。
その背景には、人の手技の機会を奪っているかもしれないという認識を持ちましょう。
手技はできるようになるのは当然ですが、次善の策こそが重要です。
失敗したから医師に変わりますよりは、次善の策をもちましょう。
第6回NP学会学術集会
NP学会学術集会は、なんだかんだほとんど参加しています。
今年は、どの学会もそうですが、Covid-19の流行によりオンラインでの開催や、中止・延期など様々な対策が取られての開催となっています。
NP学会とは、そもそも日本におけるNurse practitionerを創出しようと始まった団体の、学術団体です。
施設によっては、Nurse practitionerとか、NPとか、いろんな呼称があるようですが、Nurse practitionerとはそもそも米国のNPの事を現時点では、そう呼んでいます。
そのため、日本NP学会が主催する、大学院養成課程を終了し、資格認定試験に合格しただけでは本来は、Nurse practitionerとは呼びません。
じゃあなんて呼べばよいのかといえば、現在は診療看護師(NP)と呼んでいます。
そもそも団体を代表とする呼称に、カッコ書きというのも、なんだか変な感じがしていますが、団体を構成する方々方の異論や反論がないので、学会員のかたはこの呼称に満足しているのだと思います。
そもそも、NPといわれても何のことかさっぱり分かりません。
ということで、現時点で最もしっくり来る呼称として、診療看護師が使われています。
そしてさらにややこしいのが、日本に診療看護師(NP)という資格は存在しません。
存在しないと言うと嘘ですが、資格認定試験があるだけです。
つまり、法的にはただの看護師プラス、特定行為ができる看護師ということになります。
そして、特定行為ができる看護師とは異なり、自立・自律した看護師を目指しているのが、診療看護師(NP)の方々です。
NP学会学術集会における、わたしの歴史を振り返ると、質がどんどん向上してきていると印象です。
過去にもこのブログにNP学会学術集会のことを何度か書きましたが、もっと頑張るべきだ、といった内容でした(多分)。
NP学会学術集会では、そもそも量を集めた解析を行っている方は皆無に等しかったのですが、最近の学術集会ではだいぶ増えてきました。
質的研究に関しては、個人的にその評価方法などが、正直良くわかっていないのでなんとも言えないのですが、たぶんそれなりに分析された研究が増えてきているのだと思います。
そして、主催者も今回からは大会長が、診療看護師(NP)となり、会の在り方ががらりと変わった気がします。
そもそも学術集会は何のためにあるのかといえば、構成員の質の向上や最新の研究結果の報告として用いられます。
診療看護師(NP)の世界では、新規性のある研究というのは、あまり期待しておらず、目指すべきは米国NPですので、米国NPが行ってきた研究の日本での妥当性検証というのがメインになります。
今回のDNPのセッションでもありましたが、NPのドクターコースであるDNPは、Quality indicatorや質のカイゼンなどの観点から成果を提示しますので、現在の診療看護師(NP)にとっても、参考にできる部分は沢山あるような気がしています。
また、オンラインでの利点も個人的には、学術集会で勉強するという観点からは、利点しか無いように感じます。
というのも、オンラインだと当然ですが、どこからでも好きなときに、好きなものを聴講できます。
ところが、会場の場合だとまず椅子の端っこにみんな座っているので、その人達を避けていく必要がありますし、異なるセッションを聞こうとおもっても、移動が大変ですのでとても疲れます。
このあたりは、学術集会に何を求めるかで、満足度が変わってくるとは思いますが、個人的にはとても満足でした。
スタッフの方々が、苦労してこの会を成功させるんだ、この学術集会はどうすれば面白くなるのか、など多分いろいろ考えた結果なのだと思います。
普通の学会学術集会と比べても、今回の学術集会は満足度が高いものとなりました。
関係者の方々には、お礼申し上げます。
NP学会資格更新制度についてのムダなこと
NP学会は、5年毎に資格更新制度を導入しています。
今年が、その初めての年です。
面倒な手続きですので、いくつか気になることについて書いてみようと思います。
資格更新の手引より
https://www.jonpf.jp/files/SpcDocumentsDetail/2/SpcDocumentsDetail_2409_file.pdf
まず前提として、会費を支払っている必要がありますが、会費支払い状況がわからないです。
もちろん個人でちゃんと管理していれば、この様なことにはならないのでしょうが、個人のデータベースがあるはずなので、分かるようにして欲しいなと思います。
NPとしての臨床実践時間≥2000時間/5年
これは、普通に働いていればすぐにクリアできますので、特に問題ないでしょう。
申請書:様式1−6
様式1は、現在の情報ですので、特に問題ないです。
様式2は、実践報告書で7つのコンピテンシーについて、それぞれ実践内容を記載していくものです。
これは、振り返るという観点では良いのですが、評価方法が今ひとつ分かりません。
看護の先生方が評価するとなれば、厳しく採点する方もいらっしゃるような気がします。
このあたりは、査読制度と同様に、ある程度誰が評価しても、最低限チェックするポイントについて周知しておくことが必要です。
査読も、誰がおこなったのかわからずひどい文面で返されることもあります。
そのため、査読した方の名前や所属等が分かるような、オープンな形態のほうが査読の一般化は担保できるような気がしています。
様式3は、証明書ですのでこれも貰えばよいだけですので、特に問題ないです。
様式4は、多少問題があるような気がします。
これは、ポイント制度によるいわゆる「ポイ活」の実践状況を測るものです。
最低50ポイントですので、これは普通にNPとしての活動を行うことで貯まるポイントであると言えます。
ちなみに他学会よりもポイントが高いのは、実績云々ではなく当然だと思っています。
というのも、他学会と同等のポイントを付与するのであれば、NP学会に顔出さなくなります。
そうなると、学術的にも衰退していきますので、これは学会としてはあるべき姿です。
ただ、証明書として原本を請求しているのが意味不明です。
原本を送付したら、その後使えなくなります。
そして、もっと意味不明なのが、原本を紛失した場合に限りコピー可という文面です。
原本を亡くしたなら、コピーは物理的に困難な気がします。
考えても、よく分かりません。
他に、様式1・2・4はデータとして送付しなければならない点です。
書類でも送って、データでも送るのは二度手間です。
そして、見る側も大変です。
データ一括にしてほしいと思います。
そして、入金もわざわざ手数料のかかる窓口で行うのではなく、振り込みやクレジットカードにすべきだと思います。
ただでさえ、多忙なのにわざわざ病院の外に平日外出して、慣れない作業を行うのは無駄以外の何物でもありません。
そうすれば、書面で必要なものは様式3だけになります。
これも、スキャンして送れば十分ではないでしょうか。
疑義のある場合は、病院や所属機関に電話して確かめればよいだけです。
ということで、日本NP大学院協議会側の言い分もたくさんあるのでしょうが、基本的に無駄なことを行っているという自覚は持つべきかと思います。
いわゆるお役所仕事というやつですね。
無駄な手数料ばかり取られてしまいます。
所属は看護部か診療部か
タイトルは、診療看護師(NP)の話です。
この話、色んな所で聞きます。
最近個人的に読んだ本で、80対20の法則というものがありました。
これは、いわゆるパレートの法則というもので、一言でいえば組織の20%が組織を動かしているということです。
この80/20の法則は色んな所で応用可能です。
たとえば、診療看護師は医師の業務の80%を担う事が可能となれば、医療にかかるお金(医療費)は今よりもっと安くて済むはずです。
そして、医師が行うべき仕事の8割を担うということは、単純に医師の仕事量が激減するということにも繋がります
例えば、米国ですとNPの場合は医師の8割程度の医療費といわれています。
当然患者さんが選択していきますので、安価で質の高い診療を受けれるのであれば、それは医療費の観点からも役に立ちます。
タイトルの話に戻りますと、診療看護師(NP)は看護部所属が多いと思います。
看護部の言い分では、労務管理ができるといっています。
けれどもこれは嘘です。
看護部の担当者は残業が増えた際には、「早く帰りなさい、あなたのマネジメントが悪いです」としか言いません。
これは多少語弊のある言い方かもしれませんが、これが多くの労務管理における看護部の方策です。
休憩もとれないと言っても、「それはあなたたちが選んだんでしょ」といって、「この人達は休憩もないのよ」って言っています。
冗談なのでしょうが、クタクタになって働く身としては、非常に心を打たれる発言です。
一般的に、月々の平均残務時間の目安が、30時間といわれています。
当然ですが、勤務場所にもよりますが日勤しかしていなくても、最初の1週間で残業だけで30時間を超えてしまいます。
例えば、朝1時間早く来ます、17時終業として22時まで残れば、1日で6時間の残業です。
これを、5日間行えば30時間になります。
そして、30時間以上の残業請求をおこなうと、マネジメントができていないと言います。
最終的には、30時間までしか請求できない決まりを作り始めます。
これでは、どこに向かって議論しているのかわかりません。
プログラムの構築の事に関して進言しても、その場ではわかりましたと言うだけです。
最終的には、現場の意見を取り入れずに、プログラムを作ればそのプログラムは脆弱なものにしかなりません。
残業を減らすためには、残業代を請求できない仕組みを作るのではなく、残業しない仕組みを作るしかありません。
労務管理労務管理と言っていますが、結局残業が増えれば診療科の責任にします。
看護部は悪くないと。
そんな看護部ですから、当然どこの病院でも人はやめますし、研修医のことを下に見ますし。
正直、看護師の多くはインテリジェンスが低いと言わざるを得ません。
もちろん、すごく勉強されて看護を体系化されている方もいらっしゃいます。
けれども、一般の病院の多くはこれが現状だと思います。
組織であるからには、協働しなければなりませんし、知らないのであれば教える事が必要です。
教えることができないから、怒ることしかできなくなります。
怒ればどうなるか、相手が反応すれば喧嘩になりますし、相手が反応しなければ相手は大人だったということです。
完全なる偏見ですが、手術室や救急にそんな人が多いです。
そして最も多いのが、師長以上の管理職です。
こんな事ばかりやっているから、中卒でもなれる資格から脱却できないのです。
中卒を蔑んでいるわけではありません。
中卒でもすごい人はたくさんいます。
看護師の場合は教育体系がそもそも構築されていませんし、個人のメタ認知やアンガーマネジメントができていない人が多すぎます。
もちろん女性が多くを占める職業ですので、そんな日もあると思います。
とはいえ、職業人としてそこは先を見据え、鳥瞰的視座で自らを見つめることが必要なのではないでしょうか。
ということで、看護部所属だからといって診療看護師の利点はあまりないように思います。
結局どこの看護部も護ってはくれません。
自分でどうにかするしか無いのです。
その境地に一部の看護師はたどり着きます。
そうなると、上層部は護ってくれないという事を理解していますので、思考の幅が広がります。
結局、狭い世界の上司に頼るよりは、自分で勉强して看護という狭い世界から早期に脱却するしか無いのです。
自分が考えを変えるしか無いのです。
看護師の主体性
仕事が楽しいと思えるかどうかは、仕事自体を自分自身で組み立てられるかということがあるそうです。
ほかにもこの仕事に就きたくて選択したと言うよりも、社会的地位が高いから選択したという理由でも、最終的にその仕事を好きで選択できればよいのだと思います。
スティーブ・ジョブズ氏が、仕事を好きな職業として選択することへの、教えとして有名なスピーチがあります。
しかし、ジョブス氏も最初は大学を中退し、インドに自分探しのたびに出かけたりと路頭に迷っていたことが伺えるエピソードがあります。
けれども、最終的には自分が行っている仕事について、その仕事を好きになり、世界を変える成果を提示しています。
先に書きましたように、仕事のプランを自分で組み立てられるかという観点からは、看護師の仕事というのは、対局にあるような気がします。
医師や薬剤師やリハビリスタッフやCEや放射線技師や栄養士やソーシャルワーカーなど、病院には多数の職業の専門家がいますが、ナースは概ね仲介役的な役割を担っています。
加えて、患者対応や患者家族対応など、ほんとに多忙です。
なんで多忙になるのかと言えば、看護師がやるべき仕事が多岐にわたり過ぎるからです。
多忙であるということと、仕事は好きということは別物になります。
自分で色々な選択権を持つ仕事であれば、仕事は自ずと好きになるはずです。
けれども、臨床の看護師は自分の仕事が好きだけど大変だから仕事はしたくないという方が多いような気がしています。
これは、非常にもったいないです。
看護師はもっと声を上げるべきだと思います。
だって、病院で最も大多数の職業なのですから。
自分たちが働きやすいように、カイゼンを積み重ねて、自分たちで自分たちの仕事における選択ができるようにすべきです。
例えば、救急要請は医師の判断で受け入れの可否はほとんど決められてしまいます。
看護師が忙しいとかは、あんまり関係ないです。
しかし、医師が多忙な場合は救急要請を断ることもあります。
まあ、もっともな理由のような気もしますが、看護師としてはずるいな、とも思います。
日常の仕事についても同様です。
1日の仕事はだいたい決まってはいますが、ナースコールの対応や突発的な医師の指示に加え、リハビリスタッフからはもっとアクティビティをあげて、とか医師の変な薬の出し方により、細かな調整が必要になったりと、繰り返しますがほんとに忙しいのです。
多くの専門職では、このようなことはありません。
自分の決められた範囲のことをたいてい行います。
けれども、看護師の行う仕事の範囲は広すぎます。
広すぎるがゆえに、ジェネラリストとかいう、よくわからない称号を与えられて、イコールなんでも屋みたいな扱いになりがちです。
ジェネラリストとは、本来深く・広くあるべきです。
けれども、看護師は広く浅く担ってしまいます。
多くの看護師は、医療のことを何も知りません(わたしの経験です)。
病院の上層部にも問題はあります。
看護師も専門性を発揮しようとしていても、半分命令のような形で全く異なる部署に移動させられることも稀ではありません。
これがいいとか悪いとかではなく、専門性を追求し成果を残しているものに対しては、その部署でより良い成果を残すようにバックアップすべきだと思います。
例えば、クリティカルケア領域の認定看護師を取得後に、全く異なる部署に移動させられることは比較的よくあると思います。
本人の希望であればよいのですが、集中治療室で本来発揮すべき能力の無駄遣いにもなりかねません。
とはいえ、認定看護師のレベルにも幅があり、ほんとに何も知らない方もいらっしゃいますので一概には議論できませんが、一般論としての話です。
ということで、看護師の離職の原因にもなりますので、自分の仕事は自分で組み立てられるようになりましょう。
医師をはじめ横から変な指示を出された場合には、協働することが必要ですので、十分にディスカッションしましょう。
一方的に反論する看護師がたまにいますが、良い気は全くしません。
その反論が、何の役に立つのかさっぱりわかりません。
ある大学病院では、夜中の3時に目薬を出してくださいという電話をしてきます。
それが当然という風土があるのでしょうが、そのような一方的な態度が、自分たちの頸を締め付けることに繋がります。
つまり、何も考えていないという事です。
協働するということは、医師が行うべき道順がある程度共有できていることでもあります。
道順を共有できるということは、診断の道筋も共有出来ているということになります。
看護師は、そんな簡単な仕事では本来無いはずです。
まとめ
看護師は、病院のマジョリティとして、もっと声をあげましょう!
ただし、声のあげかたを明らかに間違っている看護師が、わたしの経験では大多数ですのでもっと勉强したほうがよいと思います(とくに大学病院)