「説明した」 =「理解した」 ではない

病院では、毎日のように病状説明が行われています。

 

病状説明のことを、医療界のジャーゴンで、IC(アイシー)とか、ムンテラとよんだりもします。

 

ICはInformed consentの略なので、日本語では「説明と同意」と一般的には訳されています。

多くは、医師が一方的に説明し、その説明の大筋に合意が得られれば、説明用紙にサインを行うという形が取られています。

たぶん、ですけど医師にもよりますが、病状説明は2割程度しか理解できていない場合が多いのではないかと感じます。

 

よく講義で、「前回言ったよね」という方がいます。

この方は、説明した=理解したというロジックが成立しているのかもしれません。

 

有名な忘却曲線では、数時間も経過すれば殆どの記憶は忘却しているとされています。

そのため、繰り返し行うなどで、記憶の定着を図ることが必要になります。

 

吊橋効果といって、怖い体験などの非日常の体験は、記憶を保持するとされています。

たとえば、過去の災害等の場面は、一瞬で思い出すことが可能なはずです。

 

吊り橋効果を期待するのであれば、病院という非日常の環境下で、説明を行う事は説明される側の記憶の定着を促す可能性もあります。

 

いくら分かりやすく説明しても、受け手のインテリジェンスやレディネスが整っていないと、説明した内容は、全て記憶としては定着しなくなります。

 

そもそも、最近はICよりは、Shared decision makingといって、説明者と説明を受ける側が話し合って、意思決定を行うという形が良いとされています。

 

このあたりは、講義でも同じで、記憶として定着し、理解を促すという効果が重要です。

よく、米国の講義の様子などがテレビ放映されていたりしますが、講師はよく問いかけて、講義を受ける者はその問いかけに呼応したり、質問したり、活発な議論がなされています。

本来の、病状説明はこのように、双方向性であることが重要なはずです。

日本の(諸外国の事は知りませんが)医師たちは、説明の途中で口を挟まれたり、積極的な質問を行う患者さんや、家族の事をよく思わない事もあるかも知れません。

 

でも、自分の体の事ですので、本来は十全に理解し納得し合意形成が行われることが理想的であるはずです。

そのうえ、講義と同様に質問しないと損です。

講義でも、あの時聞いておけばよかった、と思うことが多々あるとおもいますので、質問することは大事だと思います。

 

主体性を持つことの前提が、問いを立て、その問いを解決するものであると、筆者は前提にしています。

病気に対しても、主体性を持ち医療者と一緒に歩みを進めることが重要です。

 

医療の8割は、病状説明と言っても過言では無いと思います。

このあたりの教育は、まだまだ進んでいないのが現状です。

今後ますます、フューチャーされるべきものであると思います。